『ビールの最初の一口』フィリップ・ドレルム著

何気ない日常の至福

 2019年、小春日和に緩む神保町の古書店街。店頭のカゴに無造作に積まれた一冊だった。目が合ったといってよい。タイトル『ビールの最初の一口 とその他のささやかな楽しみ』。タイトルはもちろん、淡青色と薄紅色の落ち着いた感じの装丁に魅かれた。二十年近く前、1997年に刊行。背表紙には軽く日焼けが入っていたが、これも装丁に味わい深さを醸成させている。34編の短編エッセイが全編を通して「休日の朝の静かな時間と匂い」を醸し出す。何も始まらない、何も終わらない。ただただ静謐な時間が過ぎることの喜び。一瞬は永遠だ、とも言わんがばかりのディテールを追求した表現が頭のみならず体全体に沁みる。タイトルの「ビールの最初の一口」では、一日の終わりに冷たいビールを楽しさと喜び、その歓喜を忘れるために飲み干す2杯目の存在をさらりと綴る。ビールを飲む至福の瞬間と吞み助にとっての言い訳も含み、趣深い。「エンドウの莢むき」の一節をここに引く。“エンドウの莢むきは雑作ない。莢の割れ目を親指で押してやるだけで、素直にするりとなかから出てくる。”“エンドウの莢むきは説明するためにあるのではなく、ちょいとはずれた時間の流れに乗ることだ。本当は五分くらいのつもりだったがかもしれないが、なに、朝を長引かせるのはいいことだ、腕まくりして、ひと莢、ひと莢、朝の歩みを遅くするのはいいことだ”。

レシピのような文章

煩わしい食材の仕込みが楽しくなりそうな感覚が頭と腹の中に納まってくる。無性にそら豆を剥いて、食べたくなったが季節は晩秋。近所の八百屋の棚にはそら豆はなく、旬の「芽キャベツ」が置いてあった。即購入。半分に切り、塩を加えた熱湯で茹で、フライパンに移し溶かしバターを吸わせて、胡椒をひと振り。夕食までには少し早いが、冷えた缶ビールを開けゆっくりとした午後を過ごす。優れた文章とは、人に行動を促す文章だ。あたりまえの日常の風景にこれほど喜ばしい感情を移入できる著者は過去に常人では想像もできない傷を負っているのではないか、と思うのは気のせいか。「小説を読んで人が動くのは小便に行く時だけだ。」との自虐的なアフォリズムは三島由紀夫か吉行淳之介だったか。静かなエッセイなのに、日常にアクションを起こしたくなる不思議な文章だ。

年の瀬になって、中国武漢での新型のインフルエンザのニュースが連日報道される。年が明け、新型のインフルエンザウィルスは日本国内でも猛威を振るい始めた。電子顕微鏡で拡大されたウィルスが公開された。その形態が王冠“crown”に似ていることからギリシャ語で王冠を意味する“corona”という名前が付けられた。世の中から「休日の朝の静かな時間と匂い」がこのあたりからなくなってしまった気がする。

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この記事を書いた人

建築家・デザイナー・学芸員・市場アナリスト・・・爺達からの遺言。現代社会と過去の時空を彷徨い、明日を生きるためのメッセージを送っていきます。

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