正気の中の狂気

ゴヤ『黒い絵』『わが子を食べるサトゥルヌス』

ゴヤの『わが子を食べるサトゥルヌス』をはじめとする14枚の『黒い絵』シリーズを読み解いていく。王侯貴族の肖像画から市井の人々を様々な画法で描いたゴヤ。先人ベラスケスの作品や功績を意識しながら、勤勉に職務を全うし、18世紀後半には庶民出身ながら首席宮廷画家まで登り詰めた。野心に溢れ、抜け目なく振る舞う姿は残された友人や家族宛ての書簡数々からも拝察される。立身出世欲は強いが、家族や友人をこよなく愛する姿は官邸画家というよりは叩き上げの昭和時代の高級官僚に近いものを感じる。

しかし、19世紀になるとスペインの内政の混乱に乗じて仏軍がマドリードに侵攻、スペイン独立戦争が始まり、国内は仏軍と抵抗軍の交戦で大混乱をきたした。6年後、仏軍は国内から去って行ったが、従えていた宮廷は専制君主による独裁制となった。そして抵抗軍の国内自由主義者達への弾圧を行い、また異端審問所を復活させ、またゴヤ自身にも出頭命令が下された。社会と政治は混沌を極め、ゴヤ自身もマドリードから離れた地に住むこととなった。 宮廷画家ゆえ権力に屈服していたともいえるそれまでの自身の人生を鑑みたゴヤ。国家、宗教そして宮廷画家からの離反、体制への批判精神の高揚、自我の覚醒とその表現の渇望が、この時期ゴヤに生まれたことは想像できる。こうした鬱積から、ゴヤの本能的、感情的な力が『わが子を食べるサトゥルヌス』をはじめとする14枚の『黒い絵』の創作に向かわせたのだろう。

この絵画はローマ神話の農耕神が、支配権(生命)がその子に奪われるとの予言を恐れ、生まれてくる子どもを食べてしまうという物語がモチーフであるとの解釈(註)が定説だが、サトゥルヌスはゴヤ自身で食べられるわが子は過去のゴヤ自身である、とも読み取れる。 『わが子を食べるサトゥルヌス』を描くことによって、それまで長きに渡って宗教と国家の「メディア」と化していたスペインの「宮廷画家のアイデンティティ」の歴史的呪縛をゴヤは断ち切った。そして「一人の画家としてそして人間としてのアイデンティティ」をゴヤは自ら確立させた。そしてゴヤが残した数々の作品は、彼の生き方と共に後世のピカソらの芸術活動にも多大なる影響を与えることとなった。

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この記事を書いた人

建築家・デザイナー・学芸員・市場アナリスト・・・爺達からの遺言。現代社会と過去の時空を彷徨い、明日を生きるためのメッセージを送っていきます。

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