死から生還した87歳の美術家がいま想うこと           『時々、死んだふり』  横尾忠則著

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刺さる言葉が満載


 30歳になる前に、自死を演じた作品を作り、死亡通知を業界紙に掲載して、処女作品集を『遺作集』と名付けて出版し、死から出発したという現代美術家の横尾忠則。彼は昨年(2022)7月、予期しなかった急性心筋梗塞で病院に救急搬送され、「ああ、これが死か?」と思ったものの、幸運にも帰還した。そんな87歳の横尾が「生と死」、「楽
しく楽な生き方」、「老いやハンディキャップの受け止め方」、「真の創造性」などについて縦横無尽に語ったのが本書だ。この本は、読む人の年齢や境遇などによって、刺さるところが異なるだろう。言い方を変えれば、若い人も高齢者も、アーティストでもアートに関心のない人でも、誰が読んでも楽しむことができる。


たとえば、もうすぐ還暦を迎える私は、「人生は軽やかでなければいけない、そして単純でなければいけない」、「自分だけの物語を持っていないと、本当に創造性のある作品は作ることができない」、「周りのことを考えなくなると、とにかく楽です」、「僕は相対的な立場、つまり中心から外れたところにいる」、「やっぱり孤独は楽しい」などという部分に共感した。内容は濃いものの、新書サイズですぐ読めるので、ぜひ手に取ってほしい。

精神的アイドルは、寒山拾得


 東京国立博物館では先日(2023年12月3日)まで、「横尾忠則 寒山百得」展が開催されていた。この展覧会では、中国・唐の時代に生きた伝説的な2人の詩僧 寒山と拾得をテーマにした新作102点が公開された。横尾は、森鴎外が短編小説にも書いた寒山拾得について、「着るものはぼろぼろで、髪や爪は伸び放題、住まいは山の中の洞窟で、食べ物は時々国清寺の僧から分けてもらうなど、生きることに無頓着です。またその表情に知性を感じることはできません。仙人どころか、まるでアホのようです」と表現する。しかし、彼らについて、「現代の理想とする人物像からはもっとも離れた人物かもしれません。けれども、そこに本当の自由がある。だから、寒山拾得は僕の精神的アイドルなのです」と語る。このシリーズは、急性心筋梗塞を発症した時期を跨いで描かれており、死にそこなった後では、「何かどうでもいい」という感じで創作に臨んだという。「どうでもいい」というのは、「いい湯加減」みたいなことだそうだ。この展覧会に足を運べなかったことが残念でならない。ただ、来年は海外での回顧展、再来年には国内での個展の依頼がきているようなので、90歳を直前にして、寒山拾得のように、「死んだふり」をして、運命と闘わず、あるがままを生きながら描いた彼の作品を楽しみに待ちたい。また、瀬戸内海にある死をテーマにした彼の個人美術館「横尾館」にも行ってみたい。

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建築家・デザイナー・学芸員・市場アナリスト・・・爺達からの遺言。現代社会と過去の時空を彷徨い、明日を生きるためのメッセージを送っていきます。

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