『EIGHT DAYS A WEEK』ビートルズの公民権運動

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クールな装いの熱い魂

全編デジタルリマスターが施されたLIVE映像とクリアになった音源で構成され、ファンにとっては嬉しい映画だ。

しかし、瞠目すべきは、1964年9月、アメリカツアーにおけるフロリダ州ジャクソンビルでのLIVE開催までのドキュメンタリー映像だ。

ビートルズの底知れぬパワーを改めて多くの人が知る機会となったのではないか。

この年の7月、時のアメリカ大統領ジョンソンは「人種、肌の色、宗教、性別、国籍に基づく」差別を禁止する公民権法に署名した。

法律は施行されたが、しかし、ジャクソンビルを含む北と南の都市の至る所で人種差別による隔離は平然と行われていた。

スクリーンには「colored(有色人種)」の看板が掲げられた当時の隔離施策を実施していたレストラン、トイレが映し出される。公演開催に際し、ビートルズ4人は条件を出す。

「黒人がどこにでも座れるようにならない限り、我々は演奏をしない」と。

そして「隔離された観客の前で演奏を要求されることはない」と記載された契約書にサインをする。公演会場のゲイター・ボウルズスタジアムではステージから遠い上層席に黒人専用席が用意されていたが、公演に際し契約通り隔離はなくなっていた。

この公演に参加していた黒人女性のインタビュー証言に心揺らされる。

「私の席の周囲に様々な人々がいた。みんなで立ち上がり大声で叫んで一緒に歌いまくった。“違う”人々がいたけど、“違い”なんかたちまち消えた」。

遠くを見つめながら当時の感動を語る彼女の目の輝きは今も強い。

狂気のアメリカ南部の差別政策

前年の1963年11月、公民権法制定を強く推していた大統領ケネディがテキサス州ダラスで狙撃され死亡。

翌1964年6月、ミシシッピー州では公民権運動家の20代の白人男性2名と黒人男性1名が行方不明となる。

州警察は捜査に動かず、司法省から派遣されたFBIによって8月に3人は遺体で発見された。

白人2名は射殺され、黒人男性は撲殺されていた。アメリカ国内は騒然となっていた。(1967年になって、保安官代理を含むKKKメンバー7名が有罪となった)。

9月にはネバダ州ラスベガスでの公演では「爆弾を仕掛けた」と脅迫された会場で公演を行った。

KKKをはじめ過激な保守層が多いこの南部の地で、イギリスから来た4人の若いバンドマンが堂々と正面から公民権運動を行った。

地元の新聞は「このモップトップの英国人が、人種の問題に口をだすとは」と、平然とビートルズを非難している。

こうしたアメリカ公民権運動の渦中でのビートルズの勇気ある発言と行動は特筆大書すべきことだが、ビートルズとその周辺の人々たちにとっては「いつものビートルズの日常」的なこととなっているのが興味深い。

“徹底した事実検証に基づいた“と帯に謳われた『The Complete Beatles Chronicle 1957-1964』 に記載されたこの年の8月のアメリカツアーでの関連記録を抜粋する。

「1964.9.2ビートルズのコンサートが行われる数日前、フィラデルフィアでは人種暴動が起こっていた。公民権運動を支持していたビートルズは13000人の観客が全て白人であるのを見て、嫌気がさしたという。」

「1964.9.11この公演にあたり、ビートルズは黒人客と白人客の隔離をやめることを地元のプロモーターが保証するまでは演奏をしないと主張した。

ジャクソンビルがハリケーンの被害にみまわれたため、32,000枚のチケットが売れていたにもかかわらず、9,000人しか会場まで来ることができなかった」。との記述だけで、実に素っ気ない。

ジョン亡き後、リンゴ、ジョージ、ポールそして様々な関係者による証言と記録の集大成で、唯一の公式な自伝といえる大書『アンソロジー』でも、ジャクソンビルでの「公民権運動」へのコメントや映像はない。

改めて、ジャクソンビル公演でのセットリストを眺める。12曲のうち4曲、Long Tall Sally、Boys、Twist and Shout 、Roll Over Beethovenはもともと黒人アーティストによるものだった。

デビュー前から親しんでいたアメリカのR&B、ロックンロールへの敬意の現れだろう。

ダサいアメリカを指摘したビートルズ

「憧れのアメリカにまた来たのに、何かダサくないですが、南部の人種隔離政策。そんなダサい田舎で僕らは演奏なんかしないからね。」と軽く捌いただけにすぎなかったのだろう。

このクールさが、彼らを一層、知的で自分らしく振る舞うというイメージを増幅させる。

前述したミシシッピー州での公民権運動家の惨殺事件の過程と騒動の渦中が1988年の映画『ミシシッピー・バーニング』に詳細が描かれている。併せて観てほしい。

凄まじいほどの恩讐と差別がとぐろを巻く、どうしようもない閉鎖的な南部の社会を。そこでの彼らのクールな行動が、後になって大きな社会変革になっていくことがよく理解できると思う。

1964年9月時点で、リンゴが24歳、ジョン、ポールそしてジョージの順に23、21、20歳。

ひたすら若い4人の英国のリバプールからやって来たミュージシャンたちの「ダサいよ。おっさんたち」の一言がアメリカでの公民権運動を後押ししていく。

ジャクソンビルでのビートルズの行動は歴史的事件として後世に語り継がれていくはずだ。

『EIGHT DAYS A WEEK』

『ミシシッピー・バーニング』

参考文献 

『黒人差別とアメリカ公民権運動』ジェームス・M・バーダーマン著 集英社新書

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この記事を書いた人

建築家・デザイナー・学芸員・市場アナリスト・・・爺達からの遺言。現代社会と過去の時空を彷徨い、明日を生きるためのメッセージを送っていきます。

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